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南州翁終焉の地 [史跡]

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 平成23年冬に予ねてからの念願であった鹿児島を訪れることが出来た。それは、幕末から明治維新への原動力となった偉人たちや西南戦争の史跡を見学することが最大の目的であったことは云うまでもない。しかし、そうした観光地として紹介されている場所を訪れること以外に、敬愛する西郷隆盛が生きていた当時の鹿児島にあった同じものを、何か見つけられないだろうかということも一つの目的としていました。

 もっとも、135年も前に亡くなった人の当時と同じものが現代にあるわけないといえばそうであるし、鶴丸城址や西郷洞窟は当時のままだといえばそうである。だが、私が見つけたかったものはそういうものではない。見ることも、手に取ることも出来ないもの。極端な例をいえば西郷さんが鹿児島で吸っていた空気のようなもの。言葉が足りないかもしれないが、霊的、あるいは精神的な何かとしか表現出来ない。

 もちろん、私は歴史学者でもなければ探検家でもない、ましてや霊能力者でもない。しかも、限られた時間の中では普通に考えてそんなもの見つけられるわけがない。それでも、そうした想いを持ちつつ観光してみると、やはり通常では見えてこない何かが見えてきそうな期待があったことも確かで、そんな期待を抱かせる魅力がこの鹿児島という街には溢れていました。

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『南州墓地からは桜島の素晴らしい眺望を見ることが出来ます』 

 鹿児島観光する方は、ほぼ間違いなく市内に多く点在する史跡を見学することでありましょう。鹿児島中央駅を起点に各所を周るシティビューという周遊バスがありますので、これを利用すれば名だたる名所旧跡はほぼ網羅することが出来ます。下車せず車内の案内を聞きながら1周しても良いですし、一つ一つの史跡をじっくり見学するのも良いでしょう。一つだけ残念なことはバスの乗り継ぎが悪かったです。同じルートを周遊している「まち巡りバス」と切符が共用であれば、時間が惜しい観光客にはより便利だと思うのですが。さて、軍服姿の西郷隆盛像や仙巌園など枚挙に暇がありませんが、それはまたの機会とし、私は最初にスピリチャルな場所として一番に思いついたのが南洲公園です。

 南洲公園は西郷隆盛を祭神とする南洲神社と西南戦争で亡くなった薩軍の人々が埋葬されている南洲墓地、西郷さんの遺品や資料を見学、その人格や思想を学習できる西郷南洲顕彰館が同じ敷地内に併設されています。この南州公園については少し主旨がずれてしまうのですが、戦後を生き延びた河野主一朗のことを書かねばならないでしょう。

 明治十年九月二十三日、官軍の城山総攻撃を翌日に控えた薩軍の幕僚たちの中には、このまま西郷先生を賊として死なせてしまって良いのかという意見が少なからずありました。しかし、この議論はそれまでも幾度か評議に掛けられたものの、桐野利秋の反対と西郷自身も一人だけ助命されることを望まなかったため、以降取り上げられることはありませんでした。それでも、この時点において河野主一朗は先生の助命ということは婉曲に避け、今我々が死んでしまえばすべての名分が失われ天子と国民に対して賊名をこうむるだけゆえ、自らが官軍へ弁論し、「其曲直の在る所」を明らかにしたいと願い出て、西郷も諾々と頷いたという。

 河野は山野田一輔と二人で政府軍の陣へ使節として赴き、薩摩出身の参軍川村純義と面会した。川村の回想によると、彼らは唯一人の西郷隆盛の助命を嘆願したという。川村はそれは天皇の大権であるため、まず投降をして大命を待たねばならないとし、今夕五時までに返事をするよう二人を諭した。ここで河野は官軍に身柄を拘束され、自らの意思とは無関係に戦後を生き延びる運命を背負ってしまいました。山野田は城山に戻り、翌日戦死しています。西郷の返事が回答の必要なしであったことは云うまでもありません。

 生き延びた河野は懲役10年の刑を受け収監されましたが、特赦を受け明治十四年に鹿児島へ帰郷しました。先に刑期を終えていた私学校の残党は幹部であった河野を向かい入れ政治結社三州社を設立したのです。この三州社はかつての私学校とは性格を異にするものでした。時代そのものも自由民権運動が熱気を帯びていましたし、何より戦火に荒廃した鹿児島の復興と将来を背負う子弟たちの教育に力を注ぎ、九州各地に散った仲間達の遺骨の収集も目的としたものでした。今こうして私達が西郷さんをはじめ西南戦争で散った薩軍の人々を詣でることが出来るのも、三州社の活動のおかげなのです。

 残念ながら、 三州社自体は明治政府から第ニの私学校として見られ、西郷従道、松方正義、吉井友実といった薩摩出身の政府高官らで結成された郷友会により鹿児島県民の民心を切り離されてしまい、姿を消すこととなってしまいました。河野のことはいずれまた詳しく書きたいと考えていますが、過去に取り上げた白虎隊の飯沼貞吉や日向内記と同様に、生き残ってしまった自分を恥じていたのではと思います。しかし、河野は故郷で向い入れられたことが前述の二人とは大きく異なりました。それ故に、鹿児島の復興のために残りの人生を奉げようとしたのではないでしょうか。

 南洲墓地には西郷さんのお墓を囲むように桐野利秋や村田新八らのお墓が並んでいます。私はこのお墓を見た時、自害した西郷さんや戦死した薩軍の悲劇よりも、何故か総攻撃前夜、七万の官軍に包囲される中、城山の洞窟前で薩摩琵琶を奏でにぎやかな酒宴が開かれていた情景が目に浮かんできました。不謹慎かもしれませんが、現代の私達には上野の銅像やドラマなどから、どこか暖かく明るいイメージが先行しているせいかもしれません。

 順序は逆になりますが、南洲翁終焉之地碑にも行ってみました。ここは周遊バスのルートには入っていないので、宝暦治水事件で犠牲となった薩摩義士の碑でバスを降り、5分くらい歩くことになります。現在の岩崎谷は谷に沿ってJR鹿児島本線が走り、市内への交通を容易にするためその中央にトンネルが開通したため当時の景色とは一変しています。特に終焉の地碑がある周辺がかつて谷であったとは、歴史を知らなければ知る由もないでしょう。

  九月二十四日早朝、城山の洞窟から西郷を囲むように40数名の兵たちが岩崎谷口に築いた大堡塁に向かって最後の進撃をはじめました。それはこの戦争にけじめをつける為の死への突撃そのものでした。洞窟から最初の100m程は曲りくねった急勾配の下り坂ですが、その先から終焉の地までの約500mはほぼ直線、しかも道幅は二間(約3.6m)程しかないため谷の両側からは官軍の格好の標的になっていたことが判ります。それゆえ、目撃談によると西郷をはじめ桐野ら幹部は黒い疾風のように走って坂を下ったとされています。明治六年の政変後は大半を鹿児島の山の中で猟をしていたので、あの巨躯でありながら足腰はかなりしっかりしていたのでしょう。

 負傷した別府晋介の輿を担いでいた下僕の大内山平畩の証言によると、西郷さんは島津応吉邸前で2発の銃弾に打ち抜かれ、脚を少し上げて立止まっていたそうです。別府が先を行く桐野らに「先生が弾丸に中って居らるるが、いけんすっか」と声をかけたが、西郷は「もう、歩かれぬから、首を斬って呉れ」と頼んだという。

 巷説にいう、「晋どん、もうここらでよか」というやりとりがあったかどうかはともかくとして、別府の介錯で西郷さんが生涯を閉じたのは、現在の城山トンネルの交差点を渡った辺りだったと思われます。別府は西郷さんの首を薩軍の兵士に渡し、大堡塁近くの折田邸の竹薮に埋めさせました。つまり、現在南州翁終焉之地とされている場所は自害した場所から160m近く谷を下り、隠されていた西郷さんの首が発見された折田邸の跡地なのです。(1)

 私が鹿児島を訪れた当日は雨が時折降ったり止んだりする残念な天気でした。足元に桜島からの降灰が黒く歩くたびにジャリジャリしていて、定期的に降灰の回収を行っている鹿児島の人のリアルな一面を見せられたその時、何気に桜島を見上げて大変驚きました。こんなにも桜島って大きいものなのかと。おそらく、一度でも行ったことのある人ならともかく、普段テレビや写真でしか見てない人にはこれ程市内からすぐ目の前に見えているとは思いも寄らないでしょう。それ程大きく迫り出した桜島は見上げるたびに噴煙が形を変えていました。たぶん、今も昔も変わらずに鹿児島の人達はこの雄大な景色を心の拠り所、故郷の情景にしているのだろうなと思えました。

 西郷さんは介錯される前に東の空に向かって皇居を遥拝したとされていますが、自分の生涯が終わる間際、この故郷の象徴である桜島も目の片隅に入れていたのではないでしょうか。当時は今と違い、この地は谷の中にあったので島の全景を見ることは出来なかったでしょう。しかし、心に焼きついた桜島の景色は確かに見えていたはずだと思います。

(1)大半の学術書などでは別府晋介が介錯した首を西郷さんの従僕吉左衛門に渡したとする説を採っているようです。しかし、前述した大内山平畩の証言の続きには、平畩が別府よりも先に岩崎谷入口の台場に駆けて行き左手にある鮫島邸に着いたところ、ここで先に来ていた吉左衛門に会ったと話しているのです。つまり吉左衛門は西郷さんの首を受け取っていなかったと考えられる。これを裏付けるように末弟小兵衛(高瀬にて戦死)の妻まつが、吉左衛門は西郷さんの最後を見届けていなかったのでその模様を話すことが出来なかったとしています。西郷さんの首を発見出来たのは、官軍将兵の懐古談から十八、九くらいの薩軍兵士が息絶える直前に首の在り処(折田邸の竹薮)を指したことからだとされている。

参考文献

大西郷全集 大西郷全集刊行会編、西南戦争 小川原正道、歴史群像 西南戦争、維新・西南戦争 旧参謀本部編

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