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李方子 日本から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ妃銘の高麗茶碗 [人物]

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 李方子(り・まさこ、イ・バンジャ 明治34年11月4日-平成元年4月30日)は、旧宮家梨本宮家の長女として生まれ、大正9年4月に李氏朝鮮皇太子李垠と婚姻した。

 太平洋戦争の敗戦により、王族としての身分と日本国籍を失う。夫の母国である大韓民国からも拒否され、帰国が叶ったのは昭和38年になってからだった。

 長らく病を患っていた夫は昭和45年に死去し、韓国政府からの扶助により昌徳宮殿内の楽善斎で余生を過ごすこととなった。 そして方子は、夫の遺志であった韓国の障害児教育普及に尽力することにその生涯を捧げた。(1)

 私事になるが、今夏父が他界した。親族、知人への連絡、葬儀の手配や役所への手続きなどで悲しむ暇もなく、ここに来てようやく一息付けた処である。空き時間に、少しづつ遺品の整理なども始めたところ、先日押し入れの奥から見たこともない茶器の共箱を発見した。
 
 共箱の蓋には桜紋が描かれており、その裏に『高麗焼 青磁茶椀 楽善斎 李方子』、と書かれている。蓋付きの茶碗で、全体が薄緑色の釉薬で彩られ、それに合わせたように笹の葉がそれぞれに描かれている。私は骨董には詳しくないのでよく判らないが、涼やかで落ち着きのある佇まいに一目見て気に入ってしまった。この茶碗を制作したのが李方子様である。
 
 方子様が楽善斎で焼かれた昭和のお品ゆえ、高価な骨董品というものではない。上記した福祉活動に寄付をした多くの方々へのお礼として頒布された一つだったようだ。そう考えると価格では比べる事が出来ない、歴史的にも意味深い一品ではないかと思える。
 
 生前、父は社会奉仕連合体に所属していて、その一環でソウルに旅行したことがあったので、その際手に入れたものなのかもしれない。箱には父のネームタグが取り付けてあったので間違いないだろう。
 
 方子様が韓国へ帰国した当初、李承晩大統領により反日感情は最悪であった。昭和38年に朴正煕政権が誕生するにあたり、ようやく李王家を保護する政策に転換した。といっても、王家の財産は国有化されていたため、遺されるものは何もなかった。
 
 福祉活動の一環として施設建設に着手した方子様は、社団法人韓国慈行会を立ち上げ、寄付を募るために日本を縦断して回った。パーティを開き、疲れも見せずに自らの作品の展示即売も行ったという。
 
 手元にあるこの青磁のお茶碗には、時代に翻弄されながらも日韓の懸け橋となろうとした方子様の物語が込められている。両国は解決すべき問題を山積してはいるが、双方の歴史を知ることで、互いの距離を少しでも縮めることは出来るのではないだろうか。方子様の青磁茶碗がそんなことをささやいたような気がした。
 
(1)楽善斎は昌徳宮の離れにある。王の妾や女官たちが御前を退き余生を送った建物だという。
 
参考文献
「日韓皇室秘話李方子妃」渡辺みどり
 
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