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礒貝十郎左衛門正久 主君に隠し習い続けた琴の爪を胸に秘めた白皙の義士 [人物]

 NHK土曜時代劇「四十八人目の忠臣」放送前に、兵庫県赤穂市立歴史博物館では礒貝十郎左衛門を中心にドラマで描かれる義士らに所縁の品を展示する。

 元禄十四年(1701)、江戸城松の廊下で主君浅野内匠頭が刃傷を起こした当日、十郎左衛門は側用人として付き従っていた。陸奥一関城主田村右京大夫邸にて内匠頭が切腹した後、遺骸を引き取る際、特に十郎左衛門と片岡源五右衛門の二人宛とする遺書を受け取っている。(1)(2)

 十四歳から十数年側近くに控え、取り立ててくれた主君の亡骸を目前にした十郎左衛門の気持ちを推し量ることは出来ない。殉死の意味を込めて源五右衛門らと泉岳寺の墓前に髻を切り供えている。

 ドラマ「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」の中で、武井咲さんが演じる「きよ」は実在の人物である。赤穂四十七士礒貝十郎左衛門との恋というフィクションを織り交ぜて、物語は歴史に新たな解釈を付け加えるべくクライマックスへ進んでゆく。
 
 原作者の諸田玲子氏は、きよの相手役に何故十郎左衛門を選んだかという問いに対して、「消去法によって四十七士を絞った結果」だとしている。あくまで推測だが、私は真山青果の「元禄忠臣蔵」の影響が大きいのではと思っている。この中で十郎左衛門は仇討ちから世間の目を憚るため見合いをした「おみの」に対して、本懐の後それはあくまで義挙のためだと彼女を無視しようとするが、二人で演奏した思い出の品である琴の爪を隠し持っていることを大石内蔵助に指摘され、互いの正直な気持ちを理解し十郎左は切腹の場に赴くという内容だ。
 
 十郎左衛門の実父礒貝権左衛門は、主家であった幕臣松平隼人正が廃絶したため浪人となっている。その後、長兄は旗本松平与右衛門家臣の養子となり内藤万右衛門、次兄は豊前中津藩士の養子として神谷成右衛門を名のった。そのため、三男であった十郎左衛門が礒貝を継いでいる。
 
 十四歳の時、父と懇意であった堀部弥兵衛の推挙により浅野内匠頭の児小姓となった。どちらかと云えば病弱な体質であったが、 何事にも卒なく器用に物事を処理したため内匠頭の寵愛は殊の外であったという。ただし、歌舞音曲を得意とし好んでいたが、内匠頭が遊芸を軟弱と遠ざけていたことから表向きは止めてしまったようである。
 
 十郎左衛門の卒のない気配りは、討入当夜にも発揮されている。吉良邸内が暗闇だったため、軽輩の者に蝋燭を灯させ、部屋や廊下を照らさせたのだ。
 
 名作「元禄忠臣蔵」の役どころもあってか、ドラマ等では剣を片手に立ち回るというより、吉良家の女中に近づき情報収集に活躍する裏方的なイメージが、今日まで十郎左衛門には出来上がってしまっているようだ。けれど、それはあくまでフィクションの中での話である。(3)
 
 「切腹ノ際血出デカネ申候 異ナ事ト申サレ候衆モ是有候 畢竟大病ヲ久々煩イ申候故ト存ジ当候コト」 
 
  十郎左衛門が切腹した時、他の義士に比して出血量が少なかったことが、「堀内伝右衛門覚書」に記されている。やはり、健康に優れていたわけではなかった確かな証拠であろう。私が彼を白皙の義士と称するのは、色白の細面ですらりとした印象が十郎左にはあるからなのだ。(4)  
 
この記事は神戸新聞2016年8月30日号をもとに書かれたものである(http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/201608/0009437538.shtml
 
(1)浅野内匠頭終焉の地(東京都港区新橋4 )
 
(2)田村邸で口頭筆記された内匠頭の遺言には、「コノ段 兼ネテ知ラセ申スベク候ドモ 今日ヤムヲ得ザル事ニテ候故(中略)」とあり、松の廊下で発作的に吉良に斬りかかったであろうとしても、以前からそのつもりであったことが読み取れる。髻を墓前に添えたその他の者は、田中貞四朗と中村清右衛門。二人は義挙へは参加していない。
 
(3)討入前の情報収集を行った義士の中では岡野金右衛門が知られているが、これはフィクションである。吉良邸の地図は、隣接する旗本本多孫太郎の家来忠見氏からの一枚。(忠見氏は堀部弥兵衛妻の実家)もう一枚は吉良邸の前の主旗本松平登之助家来太田加兵衛(大石瀬左衛門の伯父)から得ている。邸内の実際を直に確認したのは討入直前に逃亡した毛利小平太であった。
 
(4)彼の遺品に紫縮緬の袋に入った琴の爪があったという。誰にも知られず密かに演奏していたのか、あるいは物語のように思い出の品であったのだろうか。
 
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コメント 3

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matsuzaki@kotsu.co.jp


by 交通新聞社松崎と申します (2016-10-03 19:39) 

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