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ダビンチ唯一の彫像? 伊中部で発見 [topics]

イタリア中部シエナの宮殿で見つかったキリスト教の聖職者、ヒエロニムスの胸像が、同国のルネサンス期の芸術家、レオナルド・ダビンチ(1452-1519年)の作品との説が浮上している。(2009.3.29MSNニュース)

記事中の彫像を調べたところ、ダビンチの絵画「荒野の聖ヒエロニムス」に似ているというのが現時点では根拠のようです。確かに首を傾げた構図が画と似てなくもないかと。

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平野國臣 その功績を後世に [人物]

福岡出身の幕末の志士、平野国臣の銅像再建から45周年を記念した式典が29日、銅像がある福岡市中央区の西公園であった。国臣の子孫や地元住民など約120人が参加した。(2009.3.30西日本新聞)

安政5年(1858)西郷隆盛が月照に薩摩への逃亡を手引きした際、同行していたのが平野國臣です。彼がいなければ、西郷さんも助からなかったかもしれないわけです。そういう意味からも國臣の功績は大きいと云わねばなりません。

 

 


タグ:平野国臣

伊能忠敬 大日本沿海輿地全図を復原したフロアパネル完成 [人物]

江戸時代後期の測量家、伊能忠敬(1745~1818年)の「大日本沿海輿地(よち)全図」を原寸大に復元したフロアパネルが完成し、27日、京都市北区の京都府立体育館で披露された。
(2009.3.28Yahoo!Japan)

大日本沿海輿地全図の正本は1873年皇居の火災で失われ、伊能家で保管されていた写本も関東大震災で焼失してしまいました。失われた全体像がつかめるようになったのはつい最近のことで、2001年にアメリカ国会議会図書館に太平洋戦争後に米に渡ってしまっていたものが207枚発見され、更に足りない部分も国内で少しづつ発見されるに至った。これにより、2006年に伊能大図全214枚を収録した地図が刊行されることになったのです。

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彦根東高校 現代によみがえる井伊の赤備え [史実]

選抜高校野球大会5日目の26日、彦根東は第3試合で習志野(千葉)と対戦する。21世紀枠での半世紀越しの“キセキ”に、学校や卒業生らの応援準備にも自然と熱が入っている。(2009.3.26YomiuriOnline)

試合の結果は4-5で彦根東が敗れてしまいました。しかし、この日応援席を埋めた赤一色は強烈な印象を残しました。それは戦国時代井伊の赤備えとして恐れられたものと同じだったからです。

彦根東高校の歴史を調べてみると、その前身は寛政11年(1799)に藩主井伊直中公が城内に設けた藩校稽古館にまで遡るそうです。スクールカラーを赤としているのも、強く井伊家を尊重している証拠であるわけです。

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上杉影虎ゆかりの品を文化財に [topics]

妙高市文化財調査審議会(寺島恒一委員長)は25日、上杉景虎が自害した鮫(さめ)ケ尾城から出土した、戦国時代の焼けたおにぎりと、景虎の側近が使用したとされる脇差しを、市の文化財とするよう市教育委員会会議に答申することを決めた。(2009.3.26新潟日報)

上杉謙信の跡目を争う影虎と景勝の間で勃発した御館の乱の舞台となった御館は、謙信に関東管領職を譲った上杉憲政の居館であります。憲政は北条家とのつながりを重視したために影虎側に加勢したとも云われてますし、影虎、景勝どちらでも御館に助力を求めた方に力を貸すつもりであったとも云われています。どちらにしても、追い詰められた影虎の嫡男道満丸を伴い春日山城に和睦交渉へ向かう途中、景勝の兵に道満丸共々殺害されてしまうわけです。

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愛媛松山 ロシア人墓地で慰霊祭 [topics]

 日露戦争の捕虜を埋葬した松山市御幸1丁目のロシア人墓地で25日、第49回慰霊祭(市主催)があった。(2009.3.25愛媛新聞)

 日本で初めて開設された松山捕虜収容所には約6000人のロシア軍捕虜が送られてきた。その待遇は戦争捕虜としては考えられない程の暖かい処遇が許されていました。松山公会堂から半径一里以内は自由行動が出来、将校は市内居住まで許されていた。更に梅津寺の海水浴や芝居見物、道後温泉への入浴等が認められていたという。ハーグ条約による博愛処遇で将校が妻子呼び寄せた例も16組もあった。

 ロシア軍兵士が「マツヤマ」と叫びながら投降したというは、松山捕虜収容所での人道主義がロシア軍にひろく浸透していたせいに違いありません。


指宿篤姫観光ガイド 来年3月まで延長 [topics]

                                                                       
延長が決まったことは素直に嬉しいですね。けど、個人的には規模を縮小してでもずっと観光ガイドがあってほしいと思います。ドラマは時間と共に人の心から薄れるかもしれませんが、指宿での篤姫の歴史が未来にも色あせることはないわけですから。  

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長岡ゆかりの人物誌発刊 [topics]

新潟県長岡市では市制100周年記念事業として、昨年4月から編集・執筆を進めてきた街づくりに貢献した長岡出身の人物を紹介する冊子「郷土長岡を創った人びと」が、4月に発刊される。行政と市民が協働して人物誌を刊行するのは初めて。(2009.3.23YomiuriOnline)

長岡で思い出される河井継之助や山本五十六も入っているのでしょうか。市内の小中学校には無料で配布されるというのは嬉しい配慮です。子供達が郷土の人物に関心を持ってくれることは、将来の大きな力になるはずです。


魚津城の戦い 歴史を見届けた名木で製作された机を発見 [史実]

富山県魚津市魚津城跡地にある同市大町小学校で城内にあったと伝えられ、昭和25年(1950)の同校舎の火災後に切り倒された「常磐の松」で作られた机が残されていたことが分かった。(2009.3.21中日新聞)

魚津城の戦いは天正10年(1582)に織田信長と上杉景勝の間で行われた合戦であります。謙信亡き後の北陸に侵攻した信長軍は柴田勝家、佐々成政、前田利家、佐久間盛政を大将に最終的に40000の軍勢で魚津城へ進撃。一方守る上杉方は3800で篭城。即座に守将である中条景泰は景勝に救援を求めたが、上野と信濃には織田軍が進駐していたために春日山城は動くことが出来なかった。

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纒向遺跡 卑弥呼の宮殿を発見? [topics]

邪馬台国の「最有力候補地」とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で女王・卑弥呼(?~248年ごろ)と同時期の3世紀前半の建物群が見つかったと、桜井市教委が20日発表した。(2009.3.20毎日jp)

今回発見された三棟の建物の跡は西の端にあることから、「ここから東側を発掘していけば神殿のような中心的建物の発見があるかもしれない。」とも。(2009.3.20産経新聞)

現時点では卑弥呼と同時代の大規模な遺跡かもしれないということなので断言は出来ませんが、「邪馬台国畿内説」の可能性は高まったと言えるかも知れません。仮に纒向遺跡の場所に邪馬台国があったと確証されたなら、それは大発見であると同時に「空白の世紀」と呼ばれ、もやもやしている4世紀の日本史を埋めるはっきりとした手がかりになってくれることでしょう。

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姫路城 今秋「平成の大修理」へ [史跡]

世界遺産であり、国宝の姫路城がこの秋から5年半かけて、「平成の大修理」が行われる。(2009.3.18YomiuriOnline)

昭和31年から行われた大天守の修理では土台である礎石をコンクリート化、天守を支えていた西側の心柱が腐りかけていた為、これを新しく交換するなど大規模なものでした。今回もそれ相当の規模になるようですが、作業の様子や大天守の外観は見学できるようにする予定とのこと。もっとも、しばらく通常の姿は見納めになるのは仕方ないことであります。


タグ:姫路城

長崎・軍艦島の上陸を来月下旬解禁へ [topics]

「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして、世界遺産国内候補地となっている長崎市の「軍艦島」(正式名・端島)について、同市は4月下旬から、観光客など一般の上陸を解禁する方針を明らかにした。(2009.3.17YomiuriOnline)

現在、日本の領海内に「軍艦島」と称される島は全部で4つあります。広島県大崎上島町の「契島」、石川県珠洲市の「見付島」、佐賀県唐津市の「神集島」、そして長崎県長崎市の「端島」です。この端島は明治のはじめに石炭が確認され、元佐賀藩藩主の一族である鍋島氏が採掘を開始した。その後、三菱財閥に経営が移り1974年に閉山するまで炭鉱施設の島というよりは炭鉱に隣接する街そのものであったということです。最盛期の1960年には世界一の人口密度であったという。

 

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タグ:軍艦島

福岡県相島  朝鮮通信使との友好を後世に [topics]

江戸時代、朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団「朝鮮通信使」の宿泊地・相島(新宮町)の史実を記した石碑が、島を望む福津市津屋崎の海岸に登場した。(2009.3.18西日本新聞)

記事中にあるように、一般に朝鮮通信使といえば江戸時代のそれを指しますが、そもそも室町時代足利義満が派遣した日本国王使に対しての返礼をする使者として派遣されたのが始まりであるという。豊臣秀吉の文禄・慶長の役で日朝間の国交が断絶し一時途絶えますが、江戸時代に再開されたわけです。朝鮮通信使という名称自体は江戸時代になって使われ始めたということです。


タグ:朝鮮通信使

レイテ島 元米軍墓地に埋葬された日本兵の遺骨? [topics]

太平洋戦争で捕虜になった日本人約6000人の死亡者リストが米国立公文書館で発見されたことを受け、NPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会」(佐賀県みやき町)が14日、埋葬地として記されたフィリピン・レイテ島のパロ町の元米軍墓地で試掘したところ、人骨とみられる骨片を発見した。(2009.3.15Yahoo!Japanニュース)

記事中のパロ町は昭和19年(1944)10月20日にレイテ島攻略の米軍第一陣が上陸したタクロバン市から南に10km程の海岸沿いの町です。ここは第一陣から5時間遅れでマッカーサーが「I shall return.」の約束を果たした歴史的な場所であるとされています。現在、海岸のレッドビーチには再上陸時の1コマを再現した銅像が建てられています。毎年10月20日の記念日には米の退役軍人や抗日フィリピンゲリラの生存者が式典を行っています。戦後もパロという街は反日感情がとても強く、最近まで公式的に日本文化を一切受け容れることがなかったそうです。

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タグ:レイテ島

福知山城 穴太衆野面積みの魅力 [史跡]

京都福知山市のシンボルといえる福知山城。1986年(昭和61年)に再建され、その後、城周辺の様々な整備事業が行われたが、昨年末に天守閣東側に復元された釣鐘門の建設工事完了し、城周辺の整備をほぼ完了した。(2009.3.16両丹日日新聞)

福知山城は明智光秀が天正7年(1579)に第2次黒井城の戦いで丹波国を平定後、掻上城であった横山城を近世城郭へ大改修し福智山城としたのが始まりであります。徳川政権時に朽木氏により福知山城と改名されたが、明治5年(1872)に廃城となり天守を昭和60年に復元した。(注1)

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ミシュラン観光版(日本編)16日に発売 [topics]

仏のガイドブック、ミシュラン観光版(ギード・ベール)日本編が16日に発売される。ホテル・レストランのガイドは2007年から東京版が登場し、観光地に関しても同年に簡易版が発売されていたが、ギード・ベールの発行は今回が初めてだという。(2009.3.15高知新聞)

三ツ星を選考した基準は「わざわざ訪れる価値のある場所。」だそうです。主な三ツ星の評価を受けた場所を見てみると、なるほどと思わせる観光地がずらっと並んでいます。日本人から見ればなんだか一般的すぎる、かもしれませんけど。

私も屋久島や香川の栗林公園にはまだ行ったことがないので、いつかは行ってみたいものです。


京都石山寺 南北朝期の「源氏小鏡」発見 [topics]

「源氏物語」の梗概書(ダイジェスト版)の一つ「源氏小鏡」で、五十四帖すべての挿絵がそろった珍しい写本が、紫式部ゆかりの石山寺(大津市)で見つかった。確認されたのは2例目という。 (2009.3.14京都新聞)

記事に掲載されている写真を見ると、とても南北朝時代(建武3年~明徳3年 1336~1392)のものとは思えない美しさです。よほど、保存されていた環境が良かったということでしょう。座主のコメントにある奇跡というのも頷けます。

2008年が源氏物語の一千年に当たる年だったのですが、まだまだ関連イベントは目白押しです。興味のある方はこちらから。(なお、源氏物語千年紀のサイトは2009年3月末日をもちまして閉鎖する予定です。)


雲林院弥四郎光成 宮本武蔵と最後に立合った武芸者の真実は [人物]

 熊本県城南町町民民俗資料館は、二天記に記述されている寛永17年(1640)の熊本藩藩主細川忠利の御前で宮本武蔵と木刀による試合を行った雲林院(氏井)弥四郎光成の身元を紹介する徳川幕府剣術指南役柳生宗矩の書状など初公開の資料も含む「新資料による『天草・島原の乱』」展示会を3月22日まで開催する。(2009.3.2熊本日日新聞)

 手元にある「宮本武蔵のすべて」(新人物往来社)には「二天記」からの記述を解説して、氏井弥四郎との御前試合は三度の立会いにおいて、弥四郎は尽く武蔵に技を封じられてしまったとあります。つまり、ほとんど相手にならなかったと書かれてるわけです。しかし、「二天記」は武蔵の死後、100年以上過ぎた安永5年(1776)に、細川家筆頭家老松井家の二天一流兵法師範である豊田景英が著したもの。この書は伝聞の情報源である記述を省いたり、正確性のない資料に新たな記述を加えたりと、歴史的資料としての価値は低いものであるというのが定説です。故に、弥四郎光成との御前試合が、果たして「二天記」どおりのものだったかどうかは甚だ疑わしい限りなわけです。

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