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南会津の戦い 若松城陥落後の会津戦争を描いた屏風が富山で発見される [史実]

 戊辰戦争(1868~69)で、南会津地方が舞台となった「南会津の戦い」が描かれた屏風絵三双が27日までに富山市内で確認された。新政府軍として参戦した富山藩隊の隊長の子孫が所有していた。(2010.5.28福島民報)

 明治元年9月22日巳の刻(午前10時)、会津若松城北追手門に「降参」と書かれた白旗3本が掲げられた。籠城1ヶ月、城内には白木綿が枯渇していたため、土佐藩より譲られたものだったという。その後、松平容保、喜徳両公が麻裃姿で降伏の式に参列した。この式典の最中、情報伝達に城から最低3日は掛かる南会津では激しい戦闘が行われていた。

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酒井雅楽頭上屋敷跡 [史跡]

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 東京都千代田区大手町のオフィス街一角にある将門塚は、平安時代に関東で朝廷に謀反を起こした平将門の首を祀った場所である。もともとは将門の祟りを静めるために建立されたという経緯があるが、同区画は寛文11年(1671)3月27日に起きた、いわゆる寛文事件の舞台となった酒井家上屋敷の中庭だった場所でもある。

 東京駅から皇居へ向かう途中にあるこの史跡は、周囲の景色から少々隔絶した感がある。普段から交通量も多く、スーツ姿の人達が絶えず行き交っている。しかし、ここに一歩足を踏み入れると、都会の喧騒を一瞬忘れさせてくれる静寂を感じるのは何故だろう。大仰な言い方ではあるが、それが長い年月を積み重ねてきた歴史が持つ厳粛さというものかもしれない。

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野村望東尼 勤皇の志士達をかくまった歌人の遺徳を偲ぶ [人物]

 幕末の歌人で勤王家の野村望東尼(ぼうとうに)が晩年流刑にされた糸島市志摩の姫島で8日、恒例の慰霊祭があり、志摩望東会(吉村勝会長)のメンバーら約60人が遺徳をしのんだ。(2010.5.9西日本新聞)

 彼女が隠棲していた平尾山荘(現福岡県中央区平尾)は勤皇の志士達の隠れ家であった。長州の高杉晋作も政権を握った保守派から逃れるため、尼の下に身を寄せている。晋作は後に彼女が尊攘派弾圧により幽閉された際、病床から尼の救出を指揮している。死の床で「面白きこともなきよに面白く」という晋作の歌に「すみなすものは心なりけり」と続けたのは長州で再会した望東尼であった。

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伊達騒動 原田甲斐の肖像画が初公開される [topics]

 寛文11年(1671)に起きた仙台藩最大の政争、伊達騒動を特集した企画展が宮城県登米市登米町の登米懐古館で開かれている。呼び物の一つは騒動にかかわった国老原田甲斐を描いた肖像画で今回初公開した。23日まで。(2010.5.7河北新報)

 寛文事件当事者の一人である原田甲斐宗輔は、仙台藩の歴史的視点からは悪逆非道の奸臣として認識されている。事件後、甲斐の首は家臣達の手で密かに菩提寺である船岡の東陽寺に埋葬され、同寺は大老酒井忠清邸(東京都千代田区大手町)で甲斐を斬った柴田外記の菩提寺大光寺と入れ替わるように、現在の宮城県登米市米谷へ移っている。

 今回公開されたこの肖像画は一体いつ描かれたものなのか、作者であるという茂庭幽荘とは。歴史の影に隠された真実に陽の目が当たる可能性はあるのだろうか?

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