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桑折宗長 発見された政宗の書状が多賀城市に寄贈される [人物]

 宮城県多賀城市は、伊達政宗の書状などの文書98点を7月1日に市文化財として指定することを決めた。文書はいずれも伊達家家臣の武将天童氏の25代当主天童勲さん(68)=多賀城市=方で保管していた「天童家文書」の一部で、3月に同市に寄贈されていた。(2010.6.26河北新報)

 仙台伊達藩桑折家は四代伊達政依から支流となった一門である。伊達家発祥の地である桑折(現福島県伊達郡桑折町)を領し桑折姓を名乗るようになった。

 この地は鎌倉幕府の御家人であった常陸入道念西が頼朝の奥州征伐の際の恩賞として与えられたものであり、念西は以降伊達姓を名乗るようになった。天文17年(1548年)十五代伊達晴宗公が米沢に居城を移すまで、伊達家は桑折西山城を拠点にその勢力を拡大し続けた。

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新田義貞 倒幕軍挙兵の際に使用された軍旗を公開 [topics]

 中世の武将・新田義貞をまつる群馬県太田市の新田神社の社宝「義貞の軍旗」がこのほど、1940年以来、70年ぶりに顕彰会の人たちに公開された。(2010.6.8asahi.com)

 元弘3年(1333)5月8日早朝上野国新田荘棟梁小太郎義貞は、後醍醐天皇からの要請に応えて鎌倉幕府倒幕の挙兵をした。当初は寡勢に過ぎなかったが、足利尊氏の嫡男千寿王の軍と合流するとその数は数万騎となった。同月15日分倍河原(現東京都府中市)において、北条泰家率いる鎌倉軍と対戦。緒戦では敗退させられたが、翌日未明に勝利に驕った幕府軍へ奇襲をかけ、これを敗走させた。

 この勝利に勢いを得た新田軍は、周辺の豪族を援軍に加えながら鎌倉に攻め込んだ。そして、5月22日(1333.7.4)執権北条高時を自害に追い込み、幕府を滅亡させている。都で足利尊氏が六波羅を陥落させる等の要因はあったものの、挙兵からわずか15日目の大勝利であった。

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