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ヘンリー8世 1534年ローマ・カトリック離脱以来の法王公式訪英 [topics]

 ローマ法王ベネディクト16世は16日から4日間の日程で英国を公式訪問する。16世紀に英国王ヘンリー8世が離婚問題でバチカンと決別し、英国国教会が設立されて以来、法王の英国公式訪問は初めて。(2010.9.10毎日jp)

 the Defender of the Faith(信仰の擁護者)、伝統的なイングランド国王のこの称号を1521年に初めてローマ教会より与えられたのが、ヘンリー8世である。その名の通り、王は本来カトリック教会の保護に非常に力を入れ、自身も熱心な信者であった。しかし、王妃キャサリンとの離婚を教皇クレメンス7世に否定されたことで、バチカンとの断絶を決意した。

 もともと、ローマ教会では信仰上の理由から離婚自体は認めなかったものの、中世の王侯貴族に対しては結婚そのものがなかった、すなわち「婚姻の無効」という抜け道で認可してきた。だが、王妃の甥であり神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王も兼ねていた)の反対から国際問題への発展を危惧した教皇により、離婚の認可は出されなかった。

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古内志摩義如 酒井雅楽頭邸より唯一人生還した仙台藩国老を偲ぶ [人物]

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 「ー古内どのはなにか知っておられるのかもしれない、また、なにも知ってはおられないかもしれない、ただ一つ、仙台六十二万石が安泰であるという事実、兵部宗勝が逐われて、伊達家の禍根が絶たれたという事実だけは現にわれわれの眼で見ることができます」  

山本周五郎著 『樅ノ木は残った』より                                                                      

 新たな史実の解明や発見でもない限り、改めて事件について検証するつもりはありませんでした。しかし、寛文事件において、大老酒井忠清邸に召還された仙台藩重臣五人の中で、唯一人の生存者であり、事件の目撃者でもある古内志摩が病で亡くなるまでの二年間に思いを寄せることは、以前から常々考えていたことです。

 原田甲斐忠臣説が取り上げられる根拠の一つに、古内志摩が事件の真相に関して沈黙したとする仮説を例に挙げる人は少なくありません。ですが、残念な事に秘された事実が本当にあったのかどうかさえ、それを知る手立ては現時点で何もないのが実情なのです。確かに、そこに真実が隠されていたと推測することは大切ではありますが、この件に関して私個人は、志摩が仙台六十二万石安泰のために書き記した藩主への諫言書、遺書にいたる多くの書状の中にこそ、紛れない真実があるのではと思うのです。

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