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ビリー・ザ・キッド No pardon for Billy the Kid  [topics]

 米国西部開拓時代の無法者として知られる「ビリー・ザ・キッド」に、射殺されてから130年後の恩赦を認めることを検討していたニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事は12月31日、恩赦を認めないとの決定を発表した。(2011.1.1CNN)

 ビリー・ザ・キッドことウィリアム・H・ボニーは19世紀後半の米国西部、メキシコ国境付近で活動した実在のアウトローである。生前に21人を殺害したとも云われているが、様々な憶測が伝説の尾ひれとなり史実は定かではない。

 1870年代後半、ニューメキシコ準州リンカーン郡は有力牧場主ら派閥と雑貨商の派閥が互いの主権を巡り激しく対立していた。77年秋、小競り合いはやがて派閥の首領殺害におよび、いわゆるリンカーン郡戦争と呼ばれる事件に発展。抗争は1年近く続き、結局合衆国騎兵隊が出動するにおよび、ようやく終結した。この時、ビリー・ザ・キッドは牧場主派の実行グループレギュレーターズに所属し、事件に大きく関わっている。 

 1878年9月に就任したルイス・ウォーレス新知事はリンカーン郡戦争関係者全員に恩赦を与えることを発表した。しかし、ビリーはそれ以前に殺人の逮捕状が出ていたため、対象にはならなかったという。

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