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和田因幡と居具根と黒松と [史実]

 県は6月、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた県内の海岸防災林の再生に着手する。仙台湾沿岸に広がっていた防災林の起源は約400年前、仙台藩主伊達政宗の時代にさかのぼる。県は、発祥の地とされる七ケ浜町で6月16日に植樹イベントを開き、白砂青松の復活へ一歩を踏み出す。(2012.5.30河北新報)

 慶長七年(1602年)夏、落成した仙台城下は伊達家家臣団だけでなく、岩出山の商家もそっくり移って来たため、その人口は五万二千という過密さで藩祖政宗公は食糧の調達と輸送を何よりも急務とした。公は北上・迫・江合の三河川を連絡させ石巻への船運と灌漑の基礎を作った元毛利家家臣で関ヶ原で浪人した川村孫兵衛重吉や、石巻渡波から山元まで十五里の海岸防潮林を完成させた大和の和田因幡為頼らインフラの専門家を高禄で藩に召抱え、領内の開発に着手させた。

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仙臺まつり 甦る仙台っ子の誇りと夢、往時の絢爛豪華を伝える青葉まつり [topics]

 東日本大震災からの復興の願いを込めた第28回仙台・青葉まつり(まつり協賛会主催)は最終日の20日、仙台市中心部で「本まつり」が行われ、藩制時代の栄華を伝える「時代絵巻巡行」が繰り広げられた。(2012.5.21河北新報)

 承応三年(1654年)三月、着工以来四年七ヶ月の日数と総工費四万二千四百九十六両を費やして仙台東照宮は落成した。御神体は束帯木造坐像の徳川家康で京の大仏師左京法橋幸和が制作、上野寛永寺最教院で点眼供養を行い、神輿は三月六日江戸を出立し十六日着。それから三日間の遷座式、十九日に社頭で喜多流二世十太夫らによる法楽の能が行われた。この時、仙台藩二代藩主忠宗公は毎年九月十七日を祭日とし、藩主在国の年に城下十八ヶ町の商人町に祭山車である山鉾を出すよう布令を発した。これこそかつて仙台城下の全士民が熱狂した仙臺まつりのはじまりである。(1)

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『本まつり当日政宗公に扮した伊達家十八代当主泰宗氏が騎馬で登場すると、沿道の観客から一斉に歓声が沸き起こった。』

 昨年の大震災をうけて2年ぶりの開催となった仙台・青葉まつりですが、その前身が仙台東照宮の祭礼であることは多くの人が知るところでありましょう。しかし、その起源である仙臺まつりとは如何なるものであったかとなると、これを知る人は意外に少ないのではないでしょうか。明治32年の仙台開府三百年祭を最後に歴史の幕を閉じた仙臺まつりですから、実際に目と耳で経験したという方は皆無のはずです。私達がそれを知る手がかりとなるのは語り継がれてきた昔話や文献でしかありません。

 仙臺まつりが具体的にどのような祭りであったかを私が知ることが出来たのは、郷土史研究家である三原良吉の著書「仙臺郷土史夜話」からであります。この本は書店でありながら、宮城県の郷土誌も出版していた宝文堂が発行したものです。宝文堂書店は平成19年に惜しまれつつも閉店してしまったため、現在この書を目にするためにはわずかに古書として発売されているものか、あるいは図書館だけとなってしまいました。読むための方法が全く閉ざされてしまったわけではありませんが、市民にとって大切な歴史を学ぶ機会が限られてしまったことは残念としかいいようがありません。さらに、現代の私達が知る見る聞く行為に対して、最も活用頻度が高いネット上にも「仙台まつり」というキーワードからその具体像を確認することは難しいようです。

 氏の著書はいち地方の郷土誌という括りになるのかもしれませんが、それでも政宗公が開府した歴史ある仙台という街の知られざる一面を学ぶことが出来る貴重な一冊であると私は確信しています。幸運にもそれを一読する機会を得られた私は、稚拙な文章ながらもwebに文書を公開していることもあり、氏の著書を参考に仙台城下の人々が誇りを持ち楽しんだお祭りがどのようなものであったかを書かずにはいられなくなった次第であります。

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