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南州翁終焉の地 [史跡]

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 平成23年冬に予ねてからの念願であった鹿児島を訪れることが出来た。それは、幕末から明治維新への原動力となった偉人たちや西南戦争の史跡を見学することが最大の目的であったことは云うまでもない。しかし、そうした観光地として紹介されている場所を訪れること以外に、敬愛する西郷隆盛が生きていた当時の鹿児島にあった同じものを、何か見つけられないだろうかということも一つの目的としていました。

 もっとも、135年も前に亡くなった人の当時と同じものが現代にあるわけないといえばそうであるし、鶴丸城址や西郷洞窟は当時のままだといえばそうである。だが、私が見つけたかったものはそういうものではない。見ることも、手に取ることも出来ないもの。極端な例をいえば西郷さんが鹿児島で吸っていた空気のようなもの。言葉が足りないかもしれないが、霊的、あるいは精神的な何かとしか表現出来ない。

 もちろん、私は歴史学者でもなければ探検家でもない、ましてや霊能力者でもない。しかも、限られた時間の中では普通に考えてそんなもの見つけられるわけがない。それでも、そうした想いを持ちつつ観光してみると、やはり通常では見えてこない何かが見えてきそうな期待があったことも確かで、そんな期待を抱かせる魅力がこの鹿児島という街には溢れていました。

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後藤貞行と金華山号 [人物]

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 コケシで有名な宮城県大崎市鳴子温泉から北の鬼首へ向かう山中に、荒雄川神社という小さな社があります。御祭神は大物忌命と他五柱で、社伝によると創祀された年代は不明であるが、明治五年に現在の地に遷座するまでは荒雄岳山頂に鎮座していたという。荒雄川の水源を司る神として、穀倉地帯大崎地方一円の人々の水神様として、又、五穀豊穣の神として信仰され、氏子崇敬者からは諸願成就・当病平癒・家内安全・商売繁盛・地域産業隆盛の神として崇め奉られています。

 この神社の境内社に、明治天皇の御料馬であった金華山号を御祭神とする主馬神社があります。金華山号は明治九年の奥羽地方御巡幸の際に天皇の目に止まり、以後明治二十八年六月に二十七才で死亡するまで天皇の側近くに御仕えした。

 明治三十四年、生まれ故郷の鬼首に等身大木像が主馬神社に奉祀された。この木像は皇居前の楠木正成像の騎馬や上野の西郷隆盛像の愛犬ツンを制作した後藤貞行の手によるものだ。毎年九月九、十日の荒雄川神社大祭の二日間のみこの木像はご開帳される。

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