So-net無料ブログ作成

千馬三郎兵衛光忠 主君への直言も厭わない堅物さと遺される家族への気遣いを併せ持つ一途な義士 [人物]

 赤穂四十七士千馬三郎兵衛と大石内蔵助の妻りくが三郎兵衛の遺児藤之丞に近況を知らせた手紙が、群馬県前橋市で発見された。鑑定の是非はまだだが、仮に真筆であるなら討入後も遺族間で交流があったことを証明する貴重な史料となりそうだ。

 三郎兵衛光忠は承応二年(1653年)の生まれ、祖父内蔵助は仙石兵部忠政の下で大阪の陣を戦ったが討死にしている。父求之助は摂津高槻藩の藩士であったが、後に浪人した。光忠は同族で赤穂浅野家に仕える三郎兵衛光利の養子となり、二十歳の時に家督を継ぎ、三郎兵衛を名のっている。

 千馬氏の祖は桓武平氏千葉氏である。鎌倉時代からの名家であったが、室町の頃から衰え、戦国時代にはそのほとんどが滅んでしまった。そのため、各地を放浪した子孫が先祖の名を汚さぬよう、千葉から千馬に改名したのだという。

続きを読む


コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー