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豊臣秀頼の墓 [人物]

 大阪夏の陣で自害したとされる豊臣秀頼が、真田幸村と共に薩摩に落ち延びたという言伝えが鹿児島県に遺されている。当地では、この伝説とNHK大河ドラマ「真田丸」にあやかり地域おこしに取り組んでいる。
 
 慶長二十年五月八日朝、大阪城内になだれ込んだ徳川方の兵から逃れるように、天守閣下の庫に淀君らと共に隠れた秀頼であったが、速水甲斐守の介錯で自害したとされている。豊臣母子に付き従った大野治長、大蔵卿局らもこれに殉じた。
 
 一方、家康の豊臣残党狩りはすさまじく、同月二十三日には秀頼の八歳になる国松を六条河原で斬首し、捕縛され斬られた浪人衆の首は、京から伏見にかけて十八列の棚を作り、一列一千以上が晒されたという。 

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