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愛犬家西郷隆盛 隠れ温泉郷に飼犬13頭の像を建立 [人物]

 鹿児島県指宿市は、幕末維新の英雄西郷隆盛が下野後静養した鰻温泉地区に飼い犬13頭の石像を設置すると発表した。

 今更ながら西郷隆盛の犬好きは、上野の銅像からも多くの人が知るところであろう。(注1)

 孫に当る元法務大臣西郷吉之助は、生涯を通じて祖父は私欲のない人物であったが、唯一犬好きに関してだけは人並であったとしている。その可愛がり様は格別で、折角の猟犬に豚肉を与えすぎて太らせてしまい犬の世話人を困らせたとか。

 また、田舎に兎猟りに出かけた際、よい犬が見つかると礼を尽くして譲って欲しいと懇願したそうだ。氏は上野の銅像が愛犬を連れた姿であることに祖父はこの上ない満足であろうと回顧している。

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高杉東行終焉之地 [人物]

 幕末長州藩の英雄高杉晋作没後150年となる今年、下関市立歴史博物館と墓所のある東行記念館で共同企画展を開催している。

 慶応二年五月朔日、老中小笠原長行は幕命として長州藩に対し、十万石削封、藩主父子蟄居と公孫への家督相続を命じると共に、谷潜蔵(晋作)、木戸寛治(孝允)ら十二名を広島に出頭するよう迫った。しかし、家老宍戸備後助、小田村素太郎がこれに応じなかったため両名を拘禁した。

 小笠原は六月五日をもって従軍諸藩兵に対して進軍を命じ、ここに第二次長州征伐の幕が切って落とされた。 

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中沢琴女 新徴組隊士として庄内戦争を戦った男装の女性剣士 [人物]

 幕末に実在した法神流女性剣士中沢琴のドラマ「花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」がNHKBSプレミアムで1月14日に放送される。主演の琴に黒木メイサさん、兄である新徴組隊士中沢良之助に筒井道隆さん、同じく新徴組隊士沖田林太郎に宅間孝行さんがキャストされている。

 中沢琴は上州穴原村(現群馬県沼田市利根町穴原)の生まれ、位牌、過去帳や村の人別帳からも生年月日は判っていない。しかし、兄である良之助貞祇が天保八年生まれなので、それより少し年下であろう。幼少時より父孫右衛門貞清から法神流剣術を学び、特に長刀に関しては父にも劣らなかった。身長五尺六寸(約170cm)、風貌は面長で色白であったという。

 文久三年正月、琴は強引に良之助について江戸へ行き、同年三月清川八郎の上洛浪士隊に男装して加わったとされている。

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豊臣秀頼の墓 [人物]

 大阪夏の陣で自害したとされる豊臣秀頼が、真田幸村と共に薩摩に落ち延びたという言伝えが鹿児島県に遺されている。当地では、この伝説とNHK大河ドラマ「真田丸」にあやかり地域おこしに取り組んでいる。
 
 慶長二十年五月八日朝、大阪城内になだれ込んだ徳川方の兵から逃れるように、天守閣下の庫に淀君らと共に隠れた秀頼であったが、速水甲斐守の介錯で自害したとされている。豊臣母子に付き従った大野治長、大蔵卿局らもこれに殉じた。
 
 一方、家康の豊臣残党狩りはすさまじく、同月二十三日には秀頼の八歳になる国松を六条河原で斬首し、捕縛され斬られた浪人衆の首は、京から伏見にかけて十八列の棚を作り、一列一千以上が晒されたという。 

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礒貝十郎左衛門正久 主君に隠し習い続けた琴の爪を胸に秘めた白皙の義士 [人物]

 NHK土曜時代劇「四十八人目の忠臣」放送前に、兵庫県赤穂市立歴史博物館では礒貝十郎左衛門を中心にドラマで描かれる義士らに所縁の品を展示する。

 元禄十四年(1701)、江戸城松の廊下で主君浅野内匠頭が刃傷を起こした当日、十郎左衛門は側用人として付き従っていた。陸奥一関城主田村右京大夫邸にて内匠頭が切腹した後、遺骸を引き取る際、特に十郎左衛門と片岡源五右衛門の二人宛とする遺書を受け取っている。(1)(2)

 十四歳から十数年側近くに控え、取り立ててくれた主君の亡骸を目前にした十郎左衛門の気持ちを推し量ることは出来ない。殉死の意味を込めて源五右衛門らと泉岳寺の墓前に髻を切り供えている。

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李方子 日本から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ妃銘の高麗茶碗 [人物]

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 李方子(り・まさこ、イ・バンジャ 明治34年11月4日-平成元年4月30日)は、旧宮家梨本宮家の長女として生まれ、大正9年4月に李氏朝鮮皇太子李垠と婚姻した。

 太平洋戦争の敗戦により、王族としての身分と日本国籍を失う。夫の母国である大韓民国からも拒否され、帰国が叶ったのは昭和38年になってからだった。

 長らく病を患っていた夫は昭和45年に死去し、韓国政府からの扶助により昌徳宮殿内の楽善斎で余生を過ごすこととなった。 そして方子は、夫の遺志であった韓国の障害児教育普及に尽力することにその生涯を捧げた。(1)

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忠僕元助 生涯を掛けて四十七士の冥福を祈った従僕の供養祭が行われる [人物]

 赤穂四十七士片岡高房に仕えた上州下秋間字館(現群馬県安中市下秋間)の元助と四十七士の冥福を祈る「忠僕元助供養祭」が所縁の地元三ヶ所で行われた。

 元禄十六年二月四日(1703.3.20)、主人片岡源五右衛門が江戸細川家中屋敷で切腹した後、彼の従僕元助は郷里秋間村に戻り剃髪した。諸国を巡錫し小さな蓄えをもとに、20年の歳月をかけて東上秋間岩戸山に浅野内匠頭、瑤泉院と四十七士の石像を建立し、その冥福を祈った。  

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新選組平士 佐野七五三之助 二張の弓は引かず、死の真相は自刃か暗殺か [人物]

 愛知県蟹江町出身の新選組隊士佐野七五三之助を偲び、当町所縁の人物として世に広めようとイベントが行われた。
 
 天保七年(1836年)尾州生まれの佐野七五三之助は正規の尾張藩士であったが、攘夷を志すため脱藩し浪人となった。
 
 文久三年(1863年)に神奈川奉行所支配の横浜外国人居留地警衛隊に身を置くことで、後の高台寺党篠原泰之進、加納鷲雄、服部武雄らと親交を深めた。更にその縁で、佐野の運命を左右する伊藤大蔵(甲子太郎)とも出会うことになる。
  
 同年三月、酔った英国水兵が居留地運上所に乱入する事件が発生。警備担当であった佐野らは、彼らを捕縛し反省させるため拘束したまま海岸に放置した。ところが、英国側が海岸に引き据えたことを抗議する事態となり、奉行所は佐野らを処分することで安易にその場を納めようとした。
 
 切腹を命じられ、自らの大義を遂げる前に果てることだけは避けたかった佐野たちは横浜を脱走した。 
 
 息を潜めていた彼らは翌年の元治元年十月、伊藤から新選組に加入するため共に京へ行かないかと持ち掛けられた。その年の六月に池田屋騒動で全国にその名が知れ渡っていた新選組への参加と、逃亡生活を終えることから断る理由は見当たらなかった。(1)
 

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乃木静子 人間乃木希典を支えた夫人の銅像を再建へ [人物]

 日露戦争陸軍第三軍司令官乃木大将の夫人静子の銅像は、戦時中に回収されるまで生誕地である鹿児島県鹿児島市新屋敷町にあった。戦後、長らく市民から再建の声が上がっていたが、この度広く募金を募り同地に再び建立する運びとなった。

 乃木静子は薩摩藩上士の湯地家の生まれ。明治維新までは減禄処分を受け、十人扶持の奥医師という体面であったが、たいそう貧乏であったという。だが、薩摩という気風の例にもれず、この家も赤貧でありながら明るい気質を備えた家庭であったそうだ。

 静子は七番目の子供からお七という名が本名であった。婚姻後、希典がその名が婦人の犯罪者を連想させるというので、自らの号「静堂」から一字をとって 静子に改名させた。

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川原塚茂太郎重幸 龍馬が心の悩みを打ち明け、実家との橋渡しとなった義兄 [人物]

 高知県立坂本龍馬記念館では、1月22日まで龍馬を陰で支え、志を継いだ彼の家族との交流を紹介する企画展が開催されている。

 展示品目の中の文久三年(1863年)八月十九日付け川原塚茂太郎宛の書簡は、実家の兄権平が龍馬に坂本家を継ぐよう願っていることに対する自分の悩みを打ち明けた内容の手紙である。

 当時、龍馬は軍艦奉行並勝麟太郎の門下生となり、神戸海軍操練所設立のために奔走していた。すなわち、自らの進路を見出し、人生の大海原に港から出航したばかりの時期と重なる。熱い思いを胸に脇目も振らずに目標に向かって突き進もうとしていた反面、実家からの要望には心を痛めていた。この手紙は、そんなどこにでもいる普通の青年坂本龍馬を垣間見ることが出来る珍しい書簡だ。

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タグ:坂本龍馬
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