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忠僕元助 生涯を掛けて四十七士の冥福を祈った従僕の供養祭が行われる [人物]

 赤穂四十七士片岡高房に仕えた上州下秋間字館(現群馬県安中市下秋間)の元助と四十七士の冥福を祈る「忠僕元助供養祭」が所縁の地元三ヶ所で行われた。

 元禄十六年二月四日(1703.3.20)、主人片岡源五右衛門が江戸細川家中屋敷で切腹した後、彼の従僕元助は郷里秋間村に戻り剃髪した。諸国を巡錫し小さな蓄えをもとに、20年の歳月をかけて東上秋間岩戸山に浅野内匠頭、瑤泉院と四十七士の石像を建立し、その冥福を祈った。  

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新選組平士 佐野七五三之助 二張の弓は引かず、死の真相は自刃か暗殺か [人物]

 愛知県蟹江町出身の新選組隊士佐野七五三之助を偲び、当町所縁の人物として世に広めようとイベントが行われた。
 
 天保七年(1836年)尾州生まれの佐野七五三之助は正規の尾張藩士であったが、攘夷を志すため脱藩し浪人となった。
 
 文久三年(1863年)に神奈川奉行所支配の横浜外国人居留地警衛隊に身を置くことで、後の高台寺党篠原泰之進、加納鷲雄、服部武雄らと親交を深めた。更にその縁で、佐野の運命を左右する伊藤大蔵(甲子太郎)とも出会うことになる。
  
 同年三月、酔った英国水兵が居留地運上所に乱入する事件が発生。警備担当であった佐野らは、彼らを捕縛し反省させるため拘束したまま海岸に放置した。ところが、英国側が海岸に引き据えたことを抗議する事態となり、奉行所は佐野らを処分することで安易にその場を納めようとした。
 
 切腹を命じられ、自らの大義を遂げる前に果てることだけは避けたかった佐野たちは横浜を脱走した。 
 
 息を潜めていた彼らは翌年の元治元年十月、伊藤から新選組に加入するため共に京へ行かないかと持ち掛けられた。その年の六月に池田屋騒動で全国にその名が知れ渡っていた新選組への参加と、逃亡生活を終えることから断る理由は見当たらなかった。(1)
 

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乃木静子 人間乃木希典を支えた夫人の銅像を再建へ [人物]

 日露戦争陸軍第三軍司令官乃木大将の夫人静子の銅像は、戦時中に回収されるまで生誕地である鹿児島県鹿児島市新屋敷町にあった。戦後、長らく市民から再建の声が上がっていたが、この度広く募金を募り同地に再び建立する運びとなった。

 乃木静子は薩摩藩上士の湯地家の生まれ。明治維新までは減禄処分を受け、十人扶持の奥医師という体面であったが、たいそう貧乏であったという。だが、薩摩という気風の例にもれず、この家も赤貧でありながら明るい気質を備えた家庭であったそうだ。

 静子は七番目の子供からお七という名が本名であった。婚姻後、希典がその名が婦人の犯罪者を連想させるというので、自らの号「静堂」から一字をとって 静子に改名させた。

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川原塚茂太郎重幸 龍馬が心の悩みを打ち明け、実家との橋渡しとなった義兄 [人物]

 高知県立坂本龍馬記念館では、1月22日まで龍馬を陰で支え、志を継いだ彼の家族との交流を紹介する企画展が開催されている。

 展示品目の中の文久三年(1863年)八月十九日付け川原塚茂太郎宛の書簡は、実家の兄権平が龍馬に坂本家を継ぐよう願っていることに対する自分の悩みを打ち明けた内容の手紙である。

 当時、龍馬は軍艦奉行並勝麟太郎の門下生となり、神戸海軍操練所設立のために奔走していた。すなわち、自らの進路を見出し、人生の大海原に港から出航したばかりの時期と重なる。熱い思いを胸に脇目も振らずに目標に向かって突き進もうとしていた反面、実家からの要望には心を痛めていた。この手紙は、そんなどこにでもいる普通の青年坂本龍馬を垣間見ることが出来る珍しい書簡だ。

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タグ:坂本龍馬
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川瀬巴水と仙台山の寺 [史跡]

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 東北地方の冬は駆け足でやって来る。仙台の街並みをあざやかな紅葉が彩る頃、西に連なる奥羽連山では雪化粧の便りが幾度も聞こえてくる。夕陽に染まった天と大小の灯火が明滅する仙台平野の境界線である山々のシルエットが、美しく際立つのもこの季節特有のものだ。

 仙台市泉区七北田山の寺洞雲寺。慢性的に渋滞が発生している4号バイパスから一歩道を外れると、周辺は振興住宅地として開発されてはいるが、その寺域は南北朝期に開山された当時と同じような静謐さを錯覚してしまう。

 過去にこの地を一人の芸術家が数度訪れたことがある。その人こそ大正・昭和に活躍した版画家川瀬巴水である。

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馬場出雲親成 真筆ならば唯一現存する政宗公自筆画が発見される [topics]

 仙台藩祖伊達政宗が描いたとされる画が宮城県塩竈市の旧家で保存されていることが判った。これまで政宗公自筆の絵は現存していないとされていたが、真筆と鑑定されれば唯一のものとなる可能性がある。

 戦前、宮城県内に政宗公の自筆とされる画が2点確認されていたが、現在は行方不明だという。公表された「貞山公御自筆梅雀画」は、春先のまだ寒さの残る陽だまりの中、綻んだ梅の枝に寄り添い暖を取る二羽の雀が描かれている。

 記事から、公は絵を学んだことはないらしいが、画は江戸期前半の狩野派の画風ということだ。

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五代友厚 連続テレビ小説は朝の大河ドラマ、ヒロインの精神的支柱に脚光 [人物]

 現在放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公白岡あさは、明治の女性実業家広岡浅子をモデルに、その生涯をドラマ化したものだ。浅子の嫁ぎ先加島屋が大阪であったことから、当時大阪経済の中心人物であった薩摩出身の五代友厚との関係も描かれる予定だという。そのため、番組開始前の8月には、二人の功績を展示紹介する企画展がすでにスタートしている。(1)

 慶応元年(1865年)に薩摩藩が国法を無視して英国へ送り出した若き留学生たち、いわゆる薩摩スチューデントの引率役であり外交使節であったのが五代才助、後の友厚である。五代は使節として、欧州各国の視察と最新鋭の銃器と弾薬、紡績機械の購入、更に貿易商社の調印などに関わった。

 維新後、大名貸による藩の負債がほぼ消滅し大打撃を受けた大阪を復興するため、大阪商法会議所(後の大阪商工会議所)を設立。その初代会長に着任し、以後の生涯を大阪の発展のために尽くした。

 五代が現在も大阪経済界から尊敬されるのは、その貢献が決して私欲のためではなかったからだ。彼の死後、整理された書簡のほとんどが借金の申し出と返済不能に対する弁明書であった。自らの財閥をつくることもしなかった五代に残されていたものは負債だけであった。

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川村吾蔵とマッカーサー元帥胸像 [人物]

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 70年前の八月の太陽を今日と同じように受けていた東京日比谷第一生命ビル。周辺一帯が空襲の被害を免れ、往時の俤を残すその建築様式は、平成における再開発の際にも、外壁だけは保存され外見は当時のままを私たちに今も伝えている。

 少々意味合いは異なるが、全国各地に遺る戦争遺跡の保存が強く叫ばれるようになったのも、悲劇を再び繰り返さぬよう後世に歴史を伝える手段を一つでも多く残すためだ。

 昭和20年9月15日、GHQがこのビルの6階社長室を接収してから27年9月27日に返還するまでの6年10ヶ月、連合国軍最高司令官ダグラス・F・マッカーサーが執務を取り続けた一室だけは、改装された第一生命ビルの中で唯一当時のまま保存されている歴史的文化財である。

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安井道頓市右衛門 道頓堀開削400年を記念しイベントを開催 [人物]

 大阪ミナミの道頓堀開削400年を記念し、8月1日、道頓堀川の戎橋から太左衛門橋でイベントが開かれる。この催しは「水都大阪2015」のオープニングとして、川に浮かぶ船上を舞台に様々なパフォーマンスが披露される予定だ。

 慶長二十年(1615年)、大阪夏の陣の論功行賞により、家康の孫松平下総守忠明が摂津大阪の領主となり、戦災で荒れ果てた街の復興を担うこととなった。忠明公は半ばで中断していた東横堀川と木津川を結ぶ堀の工事を再開させ、これを完成させた。公は、当初南堀川と呼ばれていた名称を、工事を着手した安井市右衛門の号を取って道頓掘と改めさせた。

 市右衛門道頓は大阪の陣に豊臣方として敵対していた人物ではあったが、戦災直後の徳川への民心を安定させるために、敢えてこの名を使用したようだ。

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ガリポリの戦い(1915年) [史実]

 第一次世界大戦中の1915年4月25日、ドイツの同盟国オスマン帝国の首都コンスタンティノープルに進撃すべき連合国軍はダーダネルス海峡西側のガリポリ半島に上陸作戦を敢行した。しかし、事前に塹壕と重機関銃で待ち構えていたオスマン軍の強力な抵抗に合い、翌年1月に全軍撤退した。

 オーストラリア・ニュージーランド軍(ANZAC)は、エーゲ海に面した半島西側、現在アンザック入江と呼ばれる地点に上陸し多大な犠牲を払うことになったが、両国は4月25日をアンザック・ディとし祝日に制定している。

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